【腸を仕舞う】2.手術の予約

 そこのクリニックは院長と、あとは看護師数名で運営されており、駅近くのメディカルモールの中にあった。メディカルモールと書かれているのになぜか上階に保育園があって、保育園の真下で行われる手術は揺れとか大丈夫なのか心配になったけれど、そういえば大岡山駅の上層部にある東急病院を見たときも同じことを思った。多少揺れても大丈夫なんだと思う。

 初診はかなりあっさりしていた。触診を受け、ぐっと押すと引っ込むことを確認されて「これは……はい、そうですね」と言われた。そして手術のパンフレットを受け取った。ひととおり病気と手術の説明を受けたあと「いつにしましょう。1ヶ月後くらいから空いてます」ときた。この一切無駄のない洗練された流れに、僕はなぜか「騙されないぞ!!」という気持ちになった。あとから気づいたのだけど、これは悪徳商法と全く同じ流れだ。困っている人を集めて、情報の洪水(病気の説明)で判断力を迷わせ、高いもの(こわい手術)を買わせる。そもそもおれは手術するなんて一言も言ってない。ほんとうに鼠径ヘルニアか確かめたかっただけだ。絶対に騙されないぞ。だた医者にもきっと言い分があって、それ以外にすることがないのだ。物理的に腸が出ているのだから、しまうほかない。

 これは想像だけど、多くの人は、もっと深刻な状態になってから病院へ駆け込むのではないだろうか。痛みで歩くのも儘ならず「早くなんとかしてくれ! なんでもするから!」という人にとっては、スッと手術のパンフレットを出して手術日程を詰めるスピード感こそ求められているサービスだ。こういった専門病院は、重篤な人が駆け込み続けることによって、接客手順がこのように効率化されていくのだと思う。そこに僕みたいな「腸が出ていることを確かめた~い」みたいな良く分からない目的の人が来るのがおかしい。文句言うなら腸出たまま帰れ!

 ただ、ここの先生は僕のような患者の気持ちも理解しているようで「まあ、症状がないのだったら手術予約はまた後日でも全然良いので」と言ってくれた。いい先生じゃないか。さすがGoogleの口コミ評価4.9。いや4.9高すぎて怖い。4.9って、やってないすか。具体的には悪い業者から口コミ買ってないすか。何にでも文句を言う奴はいるからどんな素晴らしい店でも満点にはならない。だから評価が高すぎると逆に怖いときがある。トルクメニスタンの大統領の支持率は99%らしい。操作のにおいは怖い。本当に「ここ」でいいのか? というのは最後まで悩んだ。ただ、通えそうな距離にあるもう一つの病院の口コミ評価は2.3とかで、それはもっと怖かった。普通に病院やってて2.3にはならなくない? だいたい、惨い体験をした人には悪い口コミを書くモチベーションがある。俺も多分身バレ覚悟で書くもの。2.3は真実を現している気がする。

 とにかく当時の僕は4.9の先生のお言葉に甘えて、腸を出したまましばらく過ごした。腸が出たあとに植えた夏野菜は収穫期を過ぎ、はや秋野菜を植える季節になった。今年はスイカが3つも獲れて、娘が喜んだ。僕の金玉もそれと同じだけあったけれど未だに痛みは訪れなかった。こんな日がずっと続くのなら、腸が少しくらい出ていても。

 そんなわけあるかーい! 手術やったらーーーい! と決心したのは、最近上の子が運動不足だから家族でジョギングするのはどうだろう、なんて話になった時だった。そのとき妻がごく自然と「あ、じゃあ君はゴールやって?」と言ってきた。ほら、腸が出ている人って、走って腹圧かけるともっと出ちゃうかもしれないからね。直接言われたわけではないけど、そういうことだ。いつのまにか、僕は走れない枠に入れられていた。というか、実際にそうだった。脱腸を認識してから走るという行為をしていない、ことに、今さら気づいた。ちょっと小走りすれば信号間に合うかな? みたいなときも諦めるようになったし、一階から二階へ移動するときにもエレベーターを使うようになった。腸のことを考えて、採る行動が自然と変わっていたのだった。これは本当に気づいていなかった。あなた、このまま「ステータス:脱腸」のまま生きるつもり? 脳内スナックのママが言う。あなた。本当にそれでいいわけ? 日帰り手術で治るのに? そういえばあなた、タイで仕事の話があったけど「俺の腸が何て言うかなあ……」なんていってパスしてたわよね。そう、あなたはこのまま、腸を庇って人生を終えるの。うるさーい! オ、オ、オデは……手術……やったらーーーい! とGoogle評価4.9のクリニックに手術予約の電話をしたのだった。