【腸を仕舞う】3.手術前検査

 手術の数週間前に検査を受ける必要があった。血液検査とかレントゲンとか健康診断でやるような項目に加えて、珍しいところで下腹部CTがあった。臓器に別の問題があると脱腸の手術ができないので、事前にそれを確かめる意図とのことだった。これは願ったり叶ったりだった。一度臓器を調べてほしいなと思っていたからだ。一般的に「見えないところ」というのは興味深い。臓器の中。排水口の奥。月の裏側。見えないものはたまには見た方がいい。新発見があるかもしれない。

 CTはいちど受けたことがあって、確かあれは十年くらい前にヤブ医者に頭部のCTを撮られたんだった。あれは結論から言うと全く意味がなくて、自動車教習所でなんとなく交換した連絡先くらい全く意味がなくて、それはまたいつか書きたいんだけど、そう、それでCTはどんなものかは知っているから安心していたのだけど、前回と違うのは、造影剤を点滴しながら撮るのだという。血流などが見えやすくなって、分かりやすいのだそう。造影剤はマストではないのだけど、医者はそれがお勧めだというので、せっかくの機会だからそれでいいですよと回答した。

 鼠径ヘルニアのクリニックにはCTの機械は無いらしく、提携している近所の健康診断専門の医療センターへ移動した。そちらの施設にも医者が居て、CTの問診は別途そこで行われる。クリニックからの申し送り事項を見た初老の医者が「造影剤ねえ、使うの? 使うことになっているけどいいのね? まあ一応、リスクはあるのでこれをよく読んで署名してくださいね」と用紙を手渡してきた。「よく映っておすすめ」「大将のおすすめ盛り」くらいにしか考えていなかったので、自分の意思で選択していることを確認されるとは思っていなかった。途端に自信がなくなってきた。そういえば造影剤ってなに入ってんの? ラメ? キラキラして映る感じ?

 それで「えっ? これって怖いやつなんですか?」と質問してしまった。そうしたらその医者が「あん?」みたいな顔をして何か答えたんだけど、何を言っているのか全然聞こえなかった。その問診室は健康診断を受ける人がたくさん出入りするからか感染症対策が万全で、問診中の医者と僕の間はキャッチボールできるくらい離れていてしかも大きなアクリル板で隔てられていた。状況的には壁の薄いアパートで隣の部屋の人が喋っているのが漏れ聞こえてくるような感じだった。ただ一点、壁が透明なので表情からしてなんか腹立つことを言っているな、というのだけ分かった。それで「えっ? 何ですか?」とか言って僕が立ち上がると「あっ立たないで! 近づかないで!」と怒られてしまった。感染症を媒介することをとても恐れている医者、それ自体は立派なんだけども、こんなデカい板立てたら聞こえないからな。音は空気の波って知ってる? 何を言っているのか最後まで良く分からなかった。結局、まあよく分からないけどみんなやってるし、という麻薬に手を出す奴みたいな思考で署名をしたのだけど、この医者は絶対におかしいだろ。口コミ書いてやろうかなと思ったらそのセンターの評価は2.8で、コメントでは問診の先生ばかり相当に擦られていたので、僕が書くまでもなかった。

 結論、造影剤はとても新鮮な体験だった。点滴されると温かく感じると聞いていて、その通りになった。まず右腕が熱くなり、それから指先、腹、右足と拡がっていくのが分かる。一本一本に、暖かい何かが通過していくのが分かるので、体中に張り巡らされた毛細血管まで見えた気がした。これだけでもやる価値があった。けっこう速く拡がるものだなと思った。血は約30秒で体内を1周するらしい。知識としては知っていたけれど、そのスピードを体感できたのも面白かった。

 結果は特に問題なかったのだけど、なぜか最後にビデオをCD-ROMで貰えた。畑のカラス避け以外でCD-ROMというメディアを久しぶりに見た。カラス避けのCD-ROMは誰かのCT結果の可能性もあると思った。