【腸を仕舞う】4.手術でなにをされるか

 CTのあと、クリニックの医師から手術の説明を改めて受けた。治療の仕組みとしては、鼠径部の穴に内側からメッシュを当て、二度と腸が出ないようにするという物理的にシンプルな方法である。そのメッシュを当てる方法にいくつかある。大きく分けて、鼠径部に直接メスを入れる鼠径部切開法と、おなかに小さな穴をあけて腹腔鏡と鉗子を入れてやる腹腔鏡下修復術の2種類がある。今回採用する手術の方法は後者に属する「TAPP法」というらしかった。詳細はネットにいくらでもあるので、ここでは、そのなかでも印象的な内容と、僕なりの感想を書いてみる。

へそから腹腔鏡を入れて中をモニタする
 最初にこれを聞いたときは、へそに腹の中への穴があいていると信じる古代人が考えた術式だろうと思った。迷信をもとにしたダイナミックな処置は恐ろしい。手術後の感想としては、へそは便利だという一言に尽きる。いま僕のへその穴には、上部と下部に傷が出来ている。へそを縦にざくっと切開してカメラを腹部へ侵入させたのだと思う。その傷口は「しわ」のように見えるが、へそはもともと巾着の口のようにギュっとしわがよっているから、これが手術跡であることは殆ど分からない。うまいこと考えたもんだと思う。内臓へのアクセスも良いことから、へそから腹腔鏡を入れることは良くあるのだそう。ちなみに穴を塞ぐメッシュもここから入れたと言っていた。切るならへそだ。

おなかにガスを充填してスペースを作る
 腹腔鏡や鉗子を入れるためにおなかを膨らませたら作業スペースが出来て便利そうなので物理的には納得できた。キャンプの古い格言にも「テントを張る前に寝床を用意する奴はいない」みたいなのがきっとあると思う。一方で心理的には全然わからなかった。人の腹にガスを入れるなって習わなかった? 手術中に患者がプカーって浮いちゃったらどうするんだろう。持ってる係とか居るんだろうか。後述するが全身麻酔でずっと寝ていたのでそのあたりのドタバタは分からない。気のせいかもしれないけど、2日くらいおなかが張っていた気がする。今はそうでもない。

2箇所から鉗子を入れて手術を行う
 鉗子。知ってるようで知らなかった。めちゃくちゃ細長いハサミのようなもので、先端のチョキ部分を使ってものを掴める。下腹部に穴を2つあけて2本の鉗子を入れ、これを巧みに動かしてメッシュを貼ったり糸で縫ったりいろいろする。つまり今回の手術は、医学部出身のかしこいカニが行うと考えても良いと思った。ところで、カメラの穴と鉗子用の穴を合わせると結局腹に3つも穴を開けることになる。最初に聞いたときは、3つも穴! なんで! という気持ちが大きかった。鼠径部を切ってメッシュ入れたら傷は一つで済むしシンプルなのでは? と思ったのだけど、3つ穴方式のぼうが穴が小さくて回復が早いのだそう。なにしろ2時間後歩いて帰るのだ。それから、へそからカメラを入れる方法は見通しが利く。今回のターゲットではない反対側の鼠径部が破れていないかも同時にチェックできる。ちなみに反対側の鼠径部もヤバそうだったらそちらにもメッシュをもう一枚張ってくれてしかも手術費用は変わらないという。ピザーラみたいでお得だ。いっそのこと悪くなくても予防的に張ってほしいと言ったら、それはやっていないそうだ。

手術は基本的に全身麻酔で行う
 全身麻酔。目覚めなかったらどうしようという気持ちが、飛行機落ちたらどうしようくらいの感じで常に存在する。全身麻酔が怖い人は腰椎麻酔を選択できるのだけど、これは過去にとても嫌な目に遭っている(痔の話を参照ください)。注射が太いことを知っている。うっかり動くと腰椎を損傷する(と脅される)ことも知っている。8時間くらい動けなことも知っている。できればもうしたくない。気持ちとしては、全身麻酔で寝ている間に全部やってくれたほうが嬉しい。小人の靴屋方式は誰でも嬉しい。しかし、なんかしらんけど怖いのが全身麻酔だし、実際に起きて靴が完成していたら怖い。
 なんかしらんけど怖い、というのはつまり、知識がないことによる恐怖である。だからこれだけは手術前にちゃんと調べた。麻酔が原因で死亡する確率は健康な人に限定すると100万分の1なのだそう。ちなみに交通事故で死ぬ確率は10万分の4らしいので、外をふらふら歩いているよりも麻酔で寝ていたほうが安全と言える(言えません)。それからこれは先生に聞いたのだけど、今の麻酔はかなり進化していて、麻酔薬の点滴を止めると数分で目が覚めるのだそう。人の意識のON/OFFは今やアンダーコントロールである。これはコナンを見れば納得できる。そういうことならばと全身麻酔を選択した。実際どうであったかは後述しようと思うけれど、簡単に言えばグーグー寝ているうちに手術は終わったし、90分きっかりに目覚めたので想定通りに効いた。ふつうの人で良かった。

 手術方法としてはこんな感じだった。その他に言われたことや言われなかったことがいくつかある。

へそを奇麗にしてこいと言われる
 前述したとおり、へそを切って、ここから機具やメッシュを出し入れする。そのときにへそが汚れていると菌が入って化膿することがあるらしい。そうならないためにはなるべくへそを掃除してきてくれ、と言われた。ちょっと待って、手術の成否がぼくのへそ掃除に委ねられた。困ります。小学校の頃、なんかのアトラクションで魔王を倒すための伝説の剣を客代表で持たされかけたときのことを思い出す。やらないですと言って断った。突然言われても困る。
だいたいへそ掃除に自信を持っている人がどれだけ居るだろう。「えっどのくらい奇麗にしないといけないんですか」と聞くと「できるだけでいいです」と言う。できるだけ。定量的でない表現をしないで。できる量は人それぞれ違う。ところで僕はへその掃除をするとなんかお腹が痛くなる。調べるとどうやらそういう人はけっこう居るらしい。へその掃除はしすぎないようにと主張する皮膚科のサイトがあった。がんばりすぎないことが正しい現代の風潮で解釈するならば「お腹が痛くならない程度に」ということになるだろう。一方、ダイは彼ができるだけの努力をしてアバンストラッシュを習得した。この場合の「できるだけ」のラインは、死の少し前に引かれている。
風呂でちょっと洗ってみたが、長年放置したへそはなんだか汚かった。一旦諦めたのだけど、ベビーオイルやワセリンを塗ると綺麗になるのでやってみてください、と言われたことを思い出した。両方無かったので化粧水でへそを満たしてみた。しばらくしたのち綿棒で拭き取って耳かきでそうっと掬ったところ、数十年とれなかった最奥のへそゴマ除去に成功したので、結果的にはダイ的な「できるだけ」の掃除ができた気がする。化膿もいまのところしていない。こうして僕は手術に貢献した。手術のスタッフロールがあったら僕の名前も流れるはずだ。

弱い歯があったら取れるけど仕方ないよねと言われる
 全身麻酔をすると呼吸も弱くなるのでそれを機械に全委任するらしい。なんでも、口から気管に管を入れるという。全身麻酔を選択したあとに聞いた話だったので「そんな怖い話あとからさらっとする!?」と思った。気管にものを入れるとか、麻酔方法を選択する上でのけっこうな判断材料よ? 君たちさあ、寝ている人なら何でもやっていいと思ってない? もう何をされても驚かない。最寄りの猫型配膳ロボットを呼ぶボタンを腹に取り付けられても驚かない。
 それはそうとして、その処置のために寝てる人の口を無理矢理開けて入れるから、金属製の機械が歯にガンガン当たるのだそう。それで、差し歯や弱い歯があると取れてしまう可能性があります、と言われた。いま僕にそういった歯はないけど、もし僕がいま70歳のおじいちゃんだったら「あん?」って思っているな、と、これはかなり鮮明に想像した。全身麻酔をすると歯が取れる世界は良くない。僕がおじいちゃんになるまでになんとか解決されていてほしい。