そのうち膿の塊が肛門の奥のほうに出来はじめてしまったらしかった。肛門の上、陰嚢の下あたりに、妙なふくらみが確認できるようになった。本体は体の内部だからよくわからないけど、つついたら「キャー!」という声が出た。
歩くだけでそれがこすれ、脂汗が出るくらいに順調に悪化したので、僕は遂に地元にある肛門科指導医が院長を務めるクリニックをつま先歩きで目指した。電柱や電車内など至る所に広告を出すタイプのクリニックで、場所は良く知っていたから地図を一度も見ることなく到着した。ものすごい広告効果だ。儲かってるんだろうなーおいーなんて眺めていたそこに、まさか自分がお世話になるとは。
ちなみにわりと街中にあるので、同僚にそこに入院することを伝えたら、小学生の娘さんが「パパの……友達……あそこに……ククク……」みたいに、建物を見るたびに笑うようになってしまったらしい。小学生にとって肛門科なんてめちゃくちゃ面白いもんね。ご家族の楽しみを一つ提供できて何よりだ。
ちょっと商売っ気の強さが気になったので他の病院もいくつか検索してみたけれど、商売っ気の正の効果として、誇る手術数が圧倒的だった。普通に考えて、ずっと同じような手術していて下手なわけないだろう。結論から言えば、院長の言うことは全部当たっていたし、とても頼りになった。
初診はかなり苦労した。院長の「肛門の力を抜いて」という要求に応えられないのだ。指と、少しだけ肛門を広げるための機具みたいなのをつっこまれるのだけど、体全体が警戒して、無意識に肛門を閉じてしまう。
「あ~もう。入らんから。力抜いて、ほら~終わんないよ~」
今となれば慣れたもんであるけれど、多分十分くらいの押し問答を経てやっと僕のおしりは先生の指を許した。
「あー、これか。はいはい。これはもう破裂した? おしりから膿や血は出てきた?」
「血はちょっと出てますが膿はまだですかね、溜まってて痛い感じです」
「んー抗生剤で小さくなるかなあ……いやもう手術だなあ……痔瘻って言ってね、痔の王様って言われているやつね」
王様と聞くと誇らしいが、やっかいさの王様ということらしかった。なんでも、肥大化して出口を求めた膿は、患部ではなく別の場所で噴出してしまう。そのとき、膿の中核と噴出口が細いトンネルで繋がってしまう形になる。
噴出口は小さなものなので表面はたまに治癒したように見えることがあるが、親玉はそこではないので完治することはない。膿の塊を手術で除去しない限り、噴出口は何度でも蘇る、というとても迷惑な症状を予言された。
実際そうなった。膿が常に排出される口、ようは膿専門の肛門が僕の肛門付近に出来たのである。
ただ、これは激痛の状態から比べれば、小康状態ともいえるものでもあった。
膿が溜まる一方だったときは肥大化した膿の袋が神経を圧迫してまっすぐ歩けないほど苦痛だったけれど、排出ルートが確保されたので一切の痛みから解放されたのだ。
膿の匂いも殆どなかった。破裂した当初は、何ヶ月か溜まっていたので逆に何度も嗅いでしまうような非常に中毒性のある膿が出たけれど、毎日生成されるフレッシュな膿が出るようになってからは、ほぼ無臭になってつまらなくなってしまった。
問題はパンツがちょっと濡れることくらいだったが、膿の排出口は、院長の予言通り不定期にふさがった。便が数日通らないと大人しくなるようだった。膿が荒ぶるのはやはり便の雑菌のせいらしい。肛門に鎮座しておいて、便が通過すると暴れるって、当たり屋みたいでもうどうしようもない感じがするけれど、固い便だけは見逃してくれるらしく、ノー便扱いになるようだった。患部を刺激しないからだろうか。
つまり、下痢さえしなければ、常人と同じ生活を送ることができた。
おしりをふいても膿がつかない日が何日も続くと、このまま治っちゃうパターンもあるのでは……そんな期待を何度もした。
しかしそのあと、ちょっとでも軟便になると「久しぶり~待ったよね~」みたいな感じでまた膿が漏れはじめるのだった。一旦痔瘻になると自然治癒することは無い。院長が最初に教えてくれたことは正しかった。
正直なところ、このままでも良いかも、と思い始めていた。ちょっとおしりから膿が漏れているから何だ。トイレットペーパーをたたんでパンツに入れ、トイレのたびに変えればなんとかなっている。大丈夫だ。僕は元町で髪の毛を切っている。怖そうにしないで堂々とシャンメリーの栓を抜くことができる。いろんな街のほどよく空いた喫茶店を知っている。そういう男だ。全く問題ない。そう言い聞かせて半年が過ぎた。
良いわけないだろ! と我に返ったのは自由が丘のいつでも座れる珈琲店、モリバコーヒー(現在閉店済)にて印象が無のサンドイッチを食べているときで、店を出てすぐに例のクリニックに電話をした。
すると、最後に受診してから半年経っているのに、診察は不要なので手術の予約をしろと言う。
このシステマティックな手術の斡旋は、今や流れ作業ビジネスとなっているレーシックを彷彿させて不安になったので、僕は思わずプチッと電話を切ってしまった。そのあと、あっ違う、治すんだった、とかけ直して手術の予約をとった。
結局手術当日まで一度も院長の触診が無かった。僕は痔瘻を予言されたけど、膿が出たあとの様子を誰にも見せたことが無かったから、万が一痔瘻じゃなかったらどうしようという不安が拭えなかったけど、結果的に治ったからもうどうでもいい。今なら分かる。痔は全員、患部を切れば治るのだ。そういう施術なのだから、事前の診察は適当で良かった。とにかく広告を出して痔の人を集めて手術予約を埋める、そういうビジネスモデルというわけだ。