入院中は特にすることがなかった。特に絶食中は食事も出ないので、定期イベントといえば朝9時にロビーに集合し、院長の診察を受けることくらいだった。ロビーに向かう僕たちの歩き方は似ていた。みな膝を軽く曲げて、サスペンションの役割を最大限に持たせていた。肛門が上下に揺れないようにする工夫である。痔の手術を受けた人の歩き方で肛門のモーションキャプチャをすると、肛門は綺麗な等速直線運動をしていると思う。大橋さんは「肛門が落ちそう」といって、いつでもキャッチできるように手をおしりの下に準備しながら歩いていた。確かに、腫れて肥大化したそれは果実のように落ちてきそうな気がした。
ロビーにはほかの病室の人も来ていて、おしり部は総勢三十名くらい居ることが分かった。この中には、僕たちよりも1週間前の木曜日に手術を受けた「先輩」も居た。ロビーで椅子に座れるのは先輩たちだけだった。僕たちは立って、診察の順番を待つ。これはおしり部の決まりというわけではなく、まだ肛門が肥大化している僕たちは、座るというコマンドを選択できなかった。
先輩たちは、より現生人類に近い歩き方をしていてかっこよかった。
診察は簡単なもので、院長が傷口の経過を見てくれる。そして最後にガーゼを尻に挟まれておしまい。一人三分もかからなかった。それでまた、ゾンビのように部屋へ戻っていく。時刻は朝の九時半、本日の予定は終了である。幼稚園児でももうちょっと予定が詰まっている。
そういえばおしりに挟まれたガーゼは自分で一日に何度も取り替える必要があった。手術の傷口から、血や体液がしばらく出続けるからだった。この作業は退院後も一ヶ月ほど続いた。
ここで痔瘻患者は、ある疑問にぶちあたる。これは果たして治っているのか? ということである。血や体液のついたガーゼの交換、これは、痔瘻患者が手術前からやっていた仕草と全く同じなのだ。そして付着物が減ってきて「治ったのか?」と期待するも、下痢や軟便によって逆戻り、という裏切りを何度も体験している。
今回も、もしかすると……という不安は拭えなかった。これだけダメージの大きな手術受けて逆戻りになったらどうしよう。いやでも、あるぞ。今までもそうだったじゃないか。「待った~? 待ったよね~?」みたいな感じで奴はひょっこり現れた。あいつはそういう奴なのだ。期待してはいけない。傷つくだけだから……
結論から言えば、血や体液は順調に止まり、下痢をしても復活することはなく、あれから数年経った今も再発していない。手術は成功したわけだが、僕が個人的に「成功」のジャッジを下したのはわりと最近だ。それくらい、僕は自分の肛門を信用できなくなっていたのだ。
日中の予定が全くないので、僕たちは寝たり起きたり喋ったり本を読んだりした。なんとなく楽しかった記憶があるが、詳細はあまり覚えていない。高校時代、放課後の部室に入り浸るのが楽しかったけれど何をやっていたかは覚えていないアレと全く同じだと思う。
熊田さんは退職しているが、まだ相談役として会社へ行っているらしい。正社員時代からいぼ痔はずっとあったが、だましだまし生きてきた。最近緑内障の手術をして、わりと簡単だったからついでに痔も治そうと思い立ったという。これが終わったら足の巻き爪も治したいと言っていた。治療ブームの一環でここに来ていた。それぞれの理由で、僕たちは集っていた。
入院前にKindleを買っていたのはとても良かった。e-inkは目に優しいし、寝ながら読んでも疲れなかった。なにより本を無限に持ち込めるなんて夢みたいだ。 そういえば一度目の入院のときは妻に本を差し入れして貰っていたので大した進化だ。差し入れの本で思い出したのだけど「僕の机の上にある本は読みかけだから適当に持ってきてほしい」と妻にお願いしたところ、本当に適当に持ってきてくれて、その中に「欧米に寝たきり老人は居ない」という、胃ろうを作って延命する日本の病院をめちゃくちゃ批判するる内容の本があった。そのときお世話になっていた総合病院は胃ろうのお年寄りばかりだった。この病院を全否定する禁書が、妻によりうっかり持ち込まれたのだ。院内で見つかった思想犯は麻酔を打たれて殺されかねないと思ったので、恐る恐るカバンの底に隠した。
Kindleはそういうことが起こらないので素晴らしいと思う。