手術後数日経つと、遂に食事がはじまる。
はじめの食事は十倍がゆだけだった。それから七倍がゆ、五倍がゆと、空っぽの腹にだんだんと入れていく。これは赤ちゃんの追体験だと思った。赤ちゃんとは何か。生まれ変わった肛門だ。あるキリスト教宗派において、洗礼とは生まれ変わりを意味する。あの手術で、僕は確かに頭を垂れ、麻酔薬を注入し、いちど死んだ。今思えば、あれは洗礼であった。そして生まれ変わった無垢な肛門を、僕は大事に育て上げる義務がある。肛門が喜ぶきれいな便を出し続けなればいけない。地元のちょっと個性的な薬局に「今日も元気だ一本糞」みたいな貼り紙があって、半分くらい、いや、九十パーセントくらい馬鹿にしていたのだけど、今は俄然興味がある。元気な糞の出し方を知りたい。インターネットで調べると、大事なのはやはり食物繊維らしい。それから良く言われる地中海食。魚、オリーブオイル、ナッツ類などである。今でも僕は、食事において選択の余地があったとき、わりと肛門の声に従ったチョイスをしている。僕のメニューは肛門が決めているのだ。
十倍がゆを食べてから二日後、「はじめて」の便意が訪れた。こんなに便意に緊張するのは新生児以来だ。
ところでこれは、まだまだ荒ぶる患部を便が通過することを意味する。大丈夫なのか? と心配したが、院長から「便が患部に触れると少し炎症を起こすが、治癒力のほうが強いので段々治っていく」という説明を受けた。肛門という特殊な場所ゆえ、回復計画には、三歩進んで二歩下がるみたいなシーンがたびたび出てくる。あんなにつらい手術したのだからもうちょっと確実に治らないのかしらと思ったが、とにかく、ここからは自然治癒力頼みの総力戦なのである。競り勝たなければいけない。
こちらには「ウォシュレット」という武器も用意されていた。風呂にはまだ入れないため、とにかく便を洗い流してくれ、という説明を受けた。肥大化した肛門にウォシュレットを当てると爆発するのでは? と思ったが、看護師は「意外と平気なのよ」と言ってのけ、実際に平気だった。かさぶたに水道水を当てるようなものだと納得した。
僕たちはウォシュレットを駆使して、戦いを有利に進めた。大橋さんを除いて。 大橋さんはウォシュレット未経験者だった。今まで使ってこなかったらしい。分からなくもなかった。僕も一歩間違えればそうだったからだ。僕は大橋さんより数歳年下だが、多分時代背景は一緒だろう。僕が生まれた頃は、ウォシュレットは普及していなかった。学校にも塾にもそんなものは無かった。つまり、ウォシュレットとは何かという教育を受けていない。また、友達で連れ立ってトイレへ行くような時期にウォシュレットが存在しなかったことで「お前はウォシュレットを使うのか」みたいなウォシュレット談義をする機会も失ったように思う。今の子らがそんな談義をしているかは知らないけど。
たまに大きなターミナル駅でウォシュレットを見かけることはあったが無視した。今まで、紙でうまいことやってきたのだ。今更導入する必要性を感じなかった。そんな感じで僕の中のトイレ保守党はずっと政権を握り続けていたが、一瞬の隙を突いて革新党がクーデターを起こした。
上京して初めに入った会社は自社ビルを建てたばかりで、トイレにはINAX(現LIXIL)の新しい便座がずらりと並んでいてとてもかっこよかった。新幹線の車両基地みたいだと思った。その高揚感がうっかり「おしり洗浄ボタン」を押させたのだった。あの時を逃したら一生経験していなかった気がする。
初めてのウォシュレットは「最強」の水が肛門を直撃した(だいたいいつも最強なのはなんでなの?)が、おしりを外すと個室全体が大惨事になることを瞬時に理解した僕は必死に「弱」のボタンを連打した。その間、肛門への全圧集中を防ぐため、僕は扇風機の首振りの要領でブウン、ブウンとおしりを振り続けた。水圧は強いが、肛門に当たる時間が減るため、ダメージの蓄積が少ないというわけである。とっさの行動であったが、今も僕はこの所作でウォシュレットを使っている。それで慣れてしまったからだ。最初って肝心なのである。
話を戻すと、大橋さんは「ウォシュレットは無理」と言い切った。
うん、分かる。しかも手術直後にデビューだなんて、最もハードルが高い。しかし患部を便が通過した今や、戦況は分からなくなっているのだ。これは命令だ。撃て! 大橋!
結局看護師さんに諭され、個室に入って「アッ、アー」とやっていたが、一歩間違えれば、あれは僕だったのだ。