床屋

床屋が定まらない。

二十代の頃からずっと、元町にある美容室で髪の毛を切ってもらっていたんだけど、コロナの緊急事態宣言のなんやかんやでちょっと足が遠のいて、それでも髪は伸びるでしょう、だから慌てて駆け込んだ、なんだ、あの、切るの速くて洗髪もない感じの美容室みたいなやつがまあまあ良くて。何が良いって、予約無しで行けるのが相当に良い。だいたい僕みたいなもんが「髪の毛切ろうかなあ?」なんて思うときはもうすべてが手遅れなんですよ。すべてが。あなたの想像している「手遅れ」があったとして、それをツガイで飼って十世代増やした感じ(※「手遅れ」のメスは一度に100匹前後の子を生む)なんですよ。だから急いで電話してんのに「1ヶ月後の木曜はいかがでしょう」じゃないんですよ。美容室に電話したときのこっち側とあっち側の温度差で発電できる。パーマとかその電力使ってやってるらしい。

ときに近所の大学病院には夜間窓口があって、紹介状を持っていなくても8000円だかを払えば当直の医者が診てくれる。まあ高いのだけど、息子が高熱で痙攣を起こしたときに一度だけお世話になった。苦痛や心配事を今すぐ取り除くために、人は金を払う。だから今すぐ行ける美容室なんてあれば割り増しで払うなと思っていたんだけど、あの美容室、2200円なんだよな。安すぎない? まあ、ああいうお店は回転率を上げて稼ぐという思想だから今話してるのとは全然違うビジネスモデルなんだけど、「今すぐという価値に金払いたい勢」からしたら、えっ、速いのに安いの? なんでなんで? みたいな、価値観の違う国に迷い込んだ感じがする。異文化交流している気分になる。「はい、このクニでは、速いものほど安いのです。だって、取り掛かるのがあとになるほど『マナ』は増え、世界に拡散してしまいますよね?」

よね? って言われても知らないんですけど、そう、それでしばらくその安くて速い美容室へ行っていたんだけど、これが、本当にまちまちなんですよ。まちまち。すごく上手い人とすごく下手な人の差がすごい。なに、店に割り振られるスキルポイントが決まってて一人に全振りしてんの? この前襟足が見事に段々になっていて笑っちゃった。マナ増やしてもいいからもっと時間かけろや。

それでその美容室も足が遠のいてしまったんだけど、じゃあどうするかって、もう近所の床屋で良いんじゃないか、という気がしてきた。正直なところ、その、ふつうならなんでもいいんですよ。ふつうをくれ。床屋の無印良品をくれ。

ほんでホットペッパービューティーなんかで近所の美容室とか床屋とかざーっと見て、ふむふむって、あの、ここで気をつけないといけないのは「おじいちゃんだけを相手にしている地元の床屋」というのがあって、ああいうところは気をつけないといけない。僕は小学校時代、父親に連れられてそういうところへ行っていたんだけど、彼らの世界には角刈りとスポーツ刈りしか存在しなかった。「角刈りとスポーツ狩りどっちにする?」といつも聞いてきたパンチパーマのおっちゃん元気かしら。あれを見て僕は、大人になると三番目の選択肢「パンチパーマ」が選べることを悟った。悟るな悟るな。そういう疑いのある床屋を華麗なステップで避けつつ、いちばん「ふつう」そうなところを選んだ。「カットハウスB」みたいな、3~40代の男性理容師のところ。カット例にも大学生からおっちゃんまで載っていて、それっぽいのもひととおりできます、みたいな。あれが得意だの、ここに気をつけてるだの、そういうイキリも一切ない。ふつうだ。よしここにしよう。それで電話をしたら、明後日行けるという。そうそう、そのくらいのスピード感よ。それで当日行って、まあ、どうしますかーなんて言って、じゃあ2センチくらい切ってくださいーなんて、いやだから、俺の望みは2センチくらい切ってもらうことだけだから、これでいいのよ。

それでまあ、けっこう気さくに話してくれるほうだったのでふつうに喋ってたんだけど、なんーか、そうねえ、話は弾むんだけど、直感的に、この人とは合わないのではないか、 という、なんでしょうか、不安みたいなものがあって。でも、どこが? と具体的に問われると分からないし気のせいかもしれないし……とか思っていたんだけど、洗髪しながら「ところで、誕生日が年齢含めて完全一致してる」と告げられる。ホットペッパービューティーで予約したから、向こうは僕の誕生日を見て、おっ、と思ったらしい。めずらしいですよね、日付が同じ人は何回か会ったけれど、年齢含めると僕は初めてかもしれない。それで「へえ~偶然っすねえ~」なんて言ってたら「誕生日一緒だから悪く仕上げないっすよ」みたいなこと言ってきて、「は?」って。「は?」ってちょっと言っちゃった。床屋側が「悪く仕上げる」という選択肢があることをほのめかした時点で、不可逆な変化が起きる。例えばシェフが「毒を盛らないから安心してください」って言った時点で戦慄が走る。たとえ実行しなくてもそういう選択肢が想像の範疇にある人、ということになって、もうダメじゃないですか。そういうことですよ。この床屋、悪く仕上げるというコマンドあるか~。なるほど~。その可能性を全く考えたことがなかったものだから、すごく怖くなって。こいつの機嫌を損ねたらジャギジャギにされる。 ほら、最初の直感って当たるんだよ。 この床屋はダメだ。

ところで、この床屋というのが、人の話でめちゃくちゃ笑う。めちゃくちゃ笑ってくれるの。俺が小学生の頃富士登山の最初の売店でうっかりだいじょうぶだあ太鼓買っちゃってその後ずっとリュックからだいじょうぶだあ太鼓の三つの柄がワイルドに飛び出てて富士登山の記念写真全部に写ってる話、そんなに面白かった? めっちゃ笑ってくれるじゃん。この床屋大好き!!

というわけでその一点だけで何度か通って、3回目くらいかな? 床屋がめちゃくちゃ機嫌悪い日があって、一言も話さない。ので僕も一言も発しなかった。そういう日があった。よくわからんけど、レジに居る奥さんもムスッとしてたから多分奥さんと喧嘩したとかだと思うんですけど、客にそんな態度をとるのはどうかしてるし、ほら、最初の直感は当たるんだよ。ダメだよ、この床屋。それで今、ジャギジャギよ。

ファッション玉出

オーケーでサイズいろいろおすすめタマゴを買う。

サイズいろいろおすすめタマゴと言うんだから、いろいろなサイズが入っているんだと思うんだけど、正直そんなに分からない。まあ確かに小さいかな、みたいなのはたまに入ってる気がするけど、もうちょっとこう、長細いとかアメーバ型とかあると分かりやすいんだけど、みんな白くて卵形なので、いろいろと言うにはなんだろう、弱い気がする。サイズいろいろアソートチョコっていう商品名で、ミリで大きさの違う立方体のチョコばかりだったらみんな「は?」ってなると思う。おい息子よ、ちょっとノギスもってきて。ああ、確かに、様々なサイズがあるねえ、面白いねえ、みたいになるご家庭はレアだと思う。あれ、そういう家庭に私はしたいわ。タマゴ計ろうかな。ノギス買うわ。

支払を済ませ、サイズいろいろおすすめタマゴをマイバッグに詰めていると、隣で同じように袋詰めをしていたおじさんが、僕のサイズいろいろおすすめタマゴを指さしてきたので、えっ気付いた? 「いろいろ」部分の甘さに? と思ったところ「関西出身ですか?」と聞いてきた。かんさいの発音は、関西人が言う感じのかんさいのような気がしたので、きっとこの人は関西出身なんだろうけど、なんでいま僕にそれを聞くんだろう。そう思ったら続けて「ほら、玉出の」と言われて、あー、と思ったんだけど、僕はマイバッグとして関西の有名スーパーであるところの玉出の黄色いエコバッグを使っている。玉出のエコバッグがおじさんの望郷スイッチをうっかり押してしまったんだけど、あの、あれ、ごめん、僕は関西に住んだことはないし、このエコバッグ、メルカリで買ったんすわ。丘サーファーのファッション玉出なんすわ。しかも自分でメルカリやってないから、妻のアカウントでわざわざ買わせてもらったんすわ。妻に「えっそんなに欲しいの?」って言われながら、まあ、買わせてもらったんすわ。激安スーパー玉出の知名度およびその奇抜さなんてとっくに全国区だから、玉出のバッグはメルカリでも1000個くらい出品されていて、黄と赤の二種類があって、ギューンってスクロールすると黄と赤がチカチカきれいだった。

わーいっぱいあるなーどれにしようかなーってスクロールしても永遠に同じループ、いやこれはループじゃない、この玉出エコバッグの後ろには、玉出エコバッグをファッション玉出ハダカデバネズミ野郎に売りつけようとする1000の顔がある。1000の持ち手がまるで口のように一斉に動く。

いらっしゃい。大人気、玉出のバッグだよ。大阪の新名所、玉出のバッグだよ。欲しいよねえ、玉出のバッグ。

怖くなった僕はそのうちの一つの玉出を急いでクリックする。理由は1枚で売っていたからで、他は「玉出2枚セット! お得!」とかそんなのばっかりで、いや玉出は2枚要らないだろ。玉出のエコバッグ商売で工夫を凝らすな、お前ら全員ほかのビジネスをしろ。だから僕は「オレ、ウル」みたいな、あんまり商売分かってなさそうな写真を選んで「オレ、カウ」とクリックする。アプリの指示どおり進めていくとメルカリポイントみたいな霞で決済完了してしまったので、妻に現金300円を渡した。

そういう経緯よ。おじさん。そういう経緯。それで、なんて言おうかなと思っていたら、あっちはちょっとニコニコしていて玉出を指さして、もう次の手の「玉出いいっすよねえ」の準備をしている。玉出いいっすよねえ体操をしている。そして実際に「玉出いいっすよねえ」と口にした。びっくりした。僕は玉出の話になったらなんも出ない。一度しか行ったことないんだから。そのときは変な弁当を買ってホテルで食べた。200円くらいだった気がする。終了。ほらー。ファッション玉出なめんなよ。玉出のバッグ持ってるけどに玉出の話なんてなんも無いんだよ。

いや、メルカリで買ったんすわ、と言おうと思ったけれど、玉出のファンを前に恥ずかしくなった。メルカリで買うことはいろいろな体験をショートカットすることでもあり、モノによっては少し後ろめたい気分になる。スーパー玉出のエコバッグなんかはおそらくそちら側のもので、僕は玉出の質感を体験せずに購入したのだ。玉出のファンにそんなことを言ったらがっかりされてしまうのではないだろうか。

それで実際に口に出た言葉が、「あー、妻が、はいー、関西で」

バッグの持ち主は妻として会話を強制終了した。まあ、妻は関西出身だし、妻のアカウントで買ったファッション玉出なので、とっさの言葉のわりにだいたいあっていた。玉出のエコバッグはマチがとても広いので気に入っている。弁当が横に入る工夫らしい。

カーシェアと暮らす

カーシェアを使っている。殆ど乗らないから所有は無駄だよね、みたいなシェアリングエコノミー的な考えももちろんあるんだけど、それよりも、車っていち個人が買うにしてはでかくない? と思ってしまう。気が小さいので、でかいものを買うのは怖い。長いフランスパン買うときでさえ「これがまるまる自分のものになって大丈夫なのか……?」ってちょっと不安なのに、車はそれよりもでかい。所有の不安で死んでしまう。あのサイズで個人で買えるものって家~Home~を除いてほかにある? テントか。テントはいいんじゃない。手品? ってくらい小さくなる。車はでかい。でかさへの不安を、みんなでシェアするのがいいと思う。長いフランスパンもそうだったらいい。借りたバゲットをテーブルに置いて「長いね~」「おいしそうね~」って眺めて次の日パン屋の傘立てみたいな深い壺に返す。

それでカーシェアを使っているのだけど、あれは本当にいい。ぶっちゃけユーザ体験の善し悪しは地域差ありそうなんだけど、というのは、周辺の空き状況とか、マナーが悪かったり時間通りに返さないユーザがご近所に居るとか、そういう事情によってネットには悪い評判があったりするんだけど、僕個人の体験としては本当に素晴らしい。周りにステーションが多いからか平日ならば即、週末でも3日前くらいまでならば予約がとれるし、みなさん綺麗に使っているようで嫌な思いをしたことがない。強いて言えば、運転席の背もたれが全部倒れていて、座席がない! ってびっくりしたことがあるくらい。やめて、こっちは車慣れてないから、座席がない! って問い合わせしそうになった。座席はある。

あとカーシェアの面白いところで、面白いってのもアレだけど、カメラとかセンサーとかついていて、計測されている。危険な運転をすると「本日二度目の急ブレーキです」と注意される。車を返すときに「本日の成績」的な振り返りがある。データは蓄積されていて、ドライバーの性質なんかもwebで閲覧できるらしい。見たことないけど。いや一度も見たことないけど、なんか「カレーパンを食べがち」とか書かれてそうでやだな。信号待ちでバカみたいな顔で頬張ってる写真とともに。でもパンを判別するAIはまだ性能良くないから、使われてるのがまるごとソーセージ頬張ってる写真だったりする。勝手にソーセージの写真撮るな! 見たことないのに想像で怒ってごめんね!

それから、ぶつけると心配してくる。バンパーをパイロンにコツンとやっただけで「衝撃を検知しました!! お怪我はありませんでしたか!?」と機械がむちゃくちゃ心配してくるんだけど、これはまあ「ぶつけたこと完全把握しておりますので壊したら申告してくださいね」と釘を刺す意味もあるんだろう。もしバンパーへこませて逃げようとしたら全てのドアロックがパンパンパンパーン! って閉まってパトランプが「プァ~ン! プァ~ン!」ってぐるぐる回って、カーナビ画面が上から鉄格子閉まっていくアニメーションとか、そのくらいはやりかねない。カーナビの初期画面が一瞬だけ鉄格子と鎖だったことがあったような気がしてきた。前の人がなんかやったのかもしれない。

そんなカーシェア。息子は車が好きなのでたまに2人で出かける。このあいだも2時間かけて山奥の湖へ行ってきた。車を返却する時間を考慮したところ、湖に2分居られることが分かった。こういうことある。カーシェア、こういうことある。返却時間が絶対だから。ところで、そんなときはカーナビの画面から延長手続きができる。遅刻するとやっかいなので、僕は少しでも遅れそうなときはすぐに予約延長をしてしまうんだけど、今回はじめて「延長できない」と言われた。次の予約が入っているとき「できない」と言われる。カーシェア、こういうことある。

それで、どうしても17時までに到着しないといけないことが判明したのだけど、カーナビに目的地を入れると到着予想時刻が左上に出て、それが17:02 とか言っている。ダメじゃん。

ただ、あのカーナビの到着予想時刻、今回その、ギリギリだったから初めてまじまじと観察したんだけど、何分かに一度再計算されて、渋滞を意外と速く切り抜けると16:51 になったり、そのあと信号に連続で捕まると17:02 に戻ったりする。というか何故か分からないけどその2つの時刻しか出ない。どうやら僕らの未来には17:02 と 16:51 の二つのパターンがある。僕の選択によって、未来が切り替わっている。いま16:51 の未来に接続しているけど、ここでトイレ休憩を挟むと……ほら、17:02 到着の世界に接続した。そのあと追い越し車線でがんばると……16:51 到着の世界に繋がる。やっぱりそうだ。目の前で、二つの世界が揺れている。可能性の交錯が視認できるのめちゃくちゃ面白い。えっなに、車持ちはこんな楽しいことを毎日してるの? 未来を選び取ってんの? もっと早く言ってよ。車めっちゃ欲しい。あと16時半に着いた。あの未来なんだったの。

今日から私服警備員

100円ショップへ行った。今日行ったのはキャンドゥである。キャンドゥの看板には、白地にオレンジの「Can☆Do」と、赤地に白の「100YEN SHOP キャン☆ドゥ」がある。前者は綺麗なビルに入っているのを見る。後者はよく路面店として商店街に馴染んでいて、若干のゆるさ、陳列の自由度がある気がする。どこだったか思い出せないけど、 カオスな道具屋みたいな陳列の店舗を見たことがある。謎の期待感があった。吊るされたじょうろに、針金で値札がくくりつけてあった。100円なのに。あれ夢かなあ。多分夢じゃなくて、思わず埃を被った風呂椅子を買った。100円分のプラスチックだからとても小さくて不便だったけどしばらく使った。数年後、我に返ってニトリで大きいのを買った。

さて、今日は家の近くの綺麗な「Can☆Do」 へ行った。緊急事態宣言中かつ閉店間際ということもあって、店内には僕のほかに客は一人もいなかった。キャンドゥのテーマソングであるところの軽快なマーチが無観客状態で響いたあと、「私服警備員が巡回しております」という放送が流れた。客が僕しかいないのにだ。あっ! やりやがったな! と思った。恥ずかしながらこんな簡単なことに僕は今まで気付いていなかった。私服警備員なんていなかったのだ。いや居るときもあるんだろうけど、居ないときもある。「あの人が私服警備員だったら……」という探り合い。万引きをする心そのものが万引きを防ぐ。改めて考えるとすごいアイデアじゃない? ゆるまないネジというのがあって、ふたつのナットが互いをロックする構造になっているのだそう。あれと同じで、二人の万引き犯が互いを監視する事態がありえる。世紀の発明と言われる可能性を秘めている気がする。

そのうち、塾帰りか何かの中学生グループが店に入ってきた。また「私服警備員が巡回しております」と放送が流れて、中学生が僕を見た。あっそうなる?

違う。僕は私服警備員じゃない! 誰かが殺人鬼、みたいな話だったら「俺じゃない! そうか、分かったぞ。俺じゃないということはお前達がそうなんだな!」とかいって殴りかかっていいシーンだよね。100均のペコペコのバットで。 そしたら中学生が「俺らじゃねえってんだろ!」って応じて、ガラスコップを割って尖らせて迫ってきて、あー、そっちだったかー、みたいな。100円で出来る武器そっちかーみたいな。バット=強いみたいな意識で思わず手に取ったことをあの世で恥じるよね。ところで100均の最強武器ってなんだろうな。蚊の嫌いな超音波出す機械かな。ああ、リチウムイオン電池。あいつよく爆発するもんな。おもっくそ衝撃加えたらいいんだっけ。キャンドウ縛りで戦うマンガもうある?

何の話だっけ。そう、私服警備員。でもなんか、そのうち、もしかしたら私服警備員に見られているかも? というのがちょっと楽しくなってきてしまって、中学生が文房具を漁っている棚の裏をスッと通ったりした。私服警備員としての自覚が出てきた。私服警備員ってこうやって作られてるの?

そのうち、とても恐ろしいことに気付いた。このまま僕が他の客から私服警備員として認識されたとき、僕はこの店から出られないのではないか。僕がモノを買って帰ってしまったら、ほかの客は「あっ、あの人ってば私服警備員じゃなかったんだ」と理解する。私服警備員が巡回しているかも、という疑心暗鬼の魔法が解ける。暴徒と化した客は店内の金目のもの(500円商品のこと)を抱え、レジを踏み倒してゆく可能性がある。キャンドゥの正義が、僕に委ねられようとしている。 「私服警備員が巡回しております」と放送が流れた。これは僕のことだ。僕で勝手に治安維持するな。誰か代わってくれ!

まあ、買い物して帰ったけども。その後キャンドゥがどうなったかは知らない。どうもなっていない。

あたらしい給湯器

ちょっと前に給湯器が壊れた。我が家は賃貸契約であるから大家に言うとなんとかしてもらえる。ず~っとこのゆりかごの中で暮らした~い!

管理会社に電話をしたのは僕ではないので細部のニュアンスは分からないけれど、修理かと思ったら古すぎるということで即交換が決まったらしい。果たしてお金1円も払わないのに業者がスッとやってきて、最新、最新かは分からないけど、まあまあ新しいだろ、そういう感じの給湯器を取り付けてくれた。人生イージーモードだ! このお金は敷金とかで賄ってんだろうか、細かいことは分からないし大家ももちろん損はしてないんだろうけれど、今この刹那、僕は1円も払っていないという感覚はすさまじく心地良いな。王の感じがする。お金払わずに何かできるのは、王くらいじゃないか。それで言うとスーパー銭湯とかによくある館内のもの何でも買える腕輪、あれもすさまじく心地よい。目の前の人が一瞬タダ働きしている感覚があって、わたあめとか、実はそこまで食いたくないのになんかぐるぐるさせてすみませんねえ……ぺろぺろ、残しちゃお、みたいな。

それはいいんだけど、先述したとおり、その壊れた給湯器というのがとても古いものであったらしく、機能が「追い炊き」のみだった。のみだった、というのもおかしくて 「追い炊き」というのは僕の中では結構なステータスで、12年前ここに越したときには「遂に追い炊きが出来る家に住んだったわ!」と思ったし、追い炊きも「はい、あなたにはその資格があるのですから」みたいなことを言ってた気がする。

追い炊きのために、湯船には追い炊き用の穴が空いている。給湯器の「追い炊き」ボタンを押すと、湯船の穴から冷めた水が一旦抜けて、熱くなって出てくる。 給湯器は、湯船の追い炊き用穴と協調して動く。

給湯器と湯船で構成されたシステムだと認識している。今回は湯船はそのままであるから、新しい給湯器とはいえ「追い炊き」以上の機能を全く想像しておらず「これで温かいお風呂に入れるねー」みたいな、そういう純粋な希望のみ抱えていたのだけど、設置されて驚いたのは、新しい給湯器には「お湯張り」ボタンがあった。お湯張り。設定した湯量を自動でためて停止してくれる超絶便利機能。忘れて溢れる失敗がすべて過去になる機能。

いや待て。お湯張り機能は実家の風呂にあって便利に使っていたけど、あれはリフォームして風呂システムをまるっと変えたときについたのだった。一方で、うちの湯船はポンコツのままである。追い炊き用の穴しかない。前の給湯器と年齢が同じだとするとこの湯船はおそらく20年選手である。そのうち12年は我々が使っているけれど。お風呂で使えてすぐ消えるペン、みたいなので子供達が湯船に落書きをした。全然消えなくて色味がヤバい感じになっている。大家さんごめん。いや、ペンも一緒に謝れよ。整列して。色相みたいな感じに並べ。お風呂で消えるっていう話、あれはどこからきたの? ペンの話はいいや。そんな古い湯船に、最新の給湯器が接続された。その給湯器には「お湯張り」ボタンがある。アデデデデデ~? プラプラリ~ン! ブォ~~~! 殿! 出陣でござる!

恐る恐る「お湯張り」を押したところ「120リットルのお湯をためます」というアナウンスのあと、追い炊き用としか認識していなかった穴からマーライオンみたいに湯が出てきてめちゃくちゃ笑っちゃった。 どういう仕組みだか知らないけど、循環しかできないと思っていた穴が、無から湯を吐いた。

お前! そんな芸当出来たのかよ! だってお前、追い炊き専用の穴じゃん! しかもすげえ融通効かない穴だったじゃん! 追い炊き中にうっかり湯を抜くと中がカラッカラになって「ピー!」とか言ってたお前が、いっちょ前にお湯吐くじゃん! 結果的に、うちの追い炊き穴は「お湯張り」「足し湯」「足し水」のコマンドを覚えた。

ところで給湯器メーカーとしては、お湯張り機能ってあとから思いついたんだろうか。新人が「風呂の追い炊き穴があれば自動給湯できないっすかね」とか言って「そ、それだ!」みたいな。もしそうだとしたらすごくわくわくする。なんというか、ハードの単機能、しかもすでに普及してしまった機能に、あとから新機能を巧みにかぶせたのだとしたら、これはすごい。既存のプラレールの線路を複線として使えるプラレールアドバンスくらいすごい。あいつすぐ脱線するけど。

20年前の追い炊き穴に、最新の給湯器が機能をかぶせる。これって何かの教訓にならないだろうか、と思ったけど、特に思いつかなかった。

バスリズム

帰るために、駅からバスに乗った。

歩いて帰れる距離だから普段は乗らない。あとそのバスというのがまあまあ人気の系統で、それの始発だからわりと混んでいる。まあまあ人気の理由は、実はそこまで遠くない2つの駅を結ぶからで、そういう「なるほど系」のバスいいよね。あっ意外と近いんだあ、みたいな。あっそんな顔で笑うんだあ、みたいな。だからそのバスはとても混んでいて、駅を降りるといつもあたらしいiPhoneの発売かなってくらい列が伸びている。10年くらい住んでいるから、あの列が本当にあたらしいiPhoneの発売だったこともあるかもしれない。iPhoneの格好してる人を見た気もしてきた。

その日は子供がライフワークであるところの無駄な動きをいっぱいして疲れていたから、親子でその長い列に並ぶことにした。先に子供がステップを上がり、子供用SuiCaをかざすと、運転手が「っしゃ~せ~?」と言ってきた。語尾が上がる感じの「っしゃ~せ~?」をバスで言う人居るんだ、珍しいな、前世は居酒屋かしら。前世まで遡らなくてもいいわ。前職でいいわ。みたいなことを考えつつ自分もSuiCaをかざすと、運転手が「っざいま~す」と言ってきた。今度は語尾を下げてきた。

あれっ? と思って座席に座ってなんとなく運転手の挨拶を聞いていると、というか運転手の挨拶はマイクを通してバス内に響くので聞かされているに近いのだけど、どうやら「っしゃ~せ~?」と「っざいま~す」を、乗客に対して交互に言っていることが分かってきた。「ピッ」「っしゃ~せ~?」「ピッ」「っざいま~す」「ピッ」「っしゃ~せ~?」「ピッ」「っざいま~す」 と謎のリズムが出来てくる。バスドラム踏みたくなる。ドッ・ドッ・ドッ・ドッ・ピッ! らっしゃ~せ~? ピッ! っざいま~す。奥に~詰めて~ください~奥に~詰めて~ください~すみません~SuiCaチャージお願いします~ピッピッピッピッピッ! らっしゃ~せ~? ピッ! っざいま~す。僕なんかはもう身体揺らしてバスリズムに預けてますから 。多分他の乗客もそうだったと思う。発車していないのにピンポンが鳴った。

ところが、せっかく良い感じで来ていたのに、運転手が「っしゃ~せ~?」を2回続けてしまった。違うじゃん! そこは「っざいま~す」じゃん! とバス内全員思ったと思うんだけど、僕はなんとなく理由が分かって、この運転手、最後の人を「っざいま~す」にしようとしている。というのは、僕、外を眺めて乗客の数を数えていて「っしゃ~せ~?」で終わるなあ、やだなあ、と思ってたの。気持ち悪いでしょ。いや、僕がじゃなくてよ。「っしゃ~せ~?」で終わることがよ。例えば「吸って~?」「吐いて~」「吸って~?」で終わったら気持ち悪いでしょ。その後を肺がパンパンのまま過ごすとか嫌でしょ。やっぱり下がって終わったほうが締まる。それで「っしゃ~せ~?」 2回続けたとき、あっ帳尻を合わせてきた! と。

帳尻の合わせかたも良いと思った。最後に困ったように「っざいま~す」 を2回続けるのではなく、自ら早いうちに解決するのはかっこいいと思う。僕はこの方法に全面的に賛成で、具体的には僕は階段を一段抜かしで上っていて「あっこの階段奇数だ!」と気づいた瞬間にそこで1段上って帳尻を合わせることにしている。最後に余りに気づくのは愚か。 前に気づいて解決しておくほうが断然スマートだと考えている。 僕の階段の上り方はかっこいい。 だから僕はこの運転手の考え方が分かるし、とても心地良い。

そうして列がどんどんかっこいいバスに飲み込まれていって「っしゃ~せ~? 」「っざいま~す」「っしゃ~せ~?」ときて、最後の一人。「っざいま~す」で正しく終わる、そう信じていた、そのために今までやってきたのに、なんと運転手から出たのが、連続の「っしゃ~せ~? 」

おい! 「っざいま~す」で締めるためにさっき泣く泣く2回 「っしゃ~せ~? 」 やったんじゃないのか! しかもまた2回 「っしゃ~せ~? 」 ってどういうこと? あれ、まだ残ってんの? と外を見ると、バス停にはもう誰も並んでいないけれど、駅の階段を一生懸命降りているご婦人が見える。あの慌てぶりは、確実にバスに乗ろうとしている。なるほど。あれで締めるつもりかあ。

いやあ、これは難しい。流動的なバスの乗客で 「っざいま~す」 で締めるのは難しい。いやあ、運転手さんよ。今回は失敗だな。でもさあ、楽しそうなことやってるじゃん。僕はそういうの好きだぜ。

ご婦人に 「っざいま~す」 と言ったあと、ドアが閉まった。あと一人階段を駆け下りてた人を乗せなかったのは、これ以上リズムが乱れることに耐えられなかったからだと思った。

ひょっこりはん

息子の通う小学校にダンス発表会を見に行ったら、DA PUMPのU.S.A.に、ひょっこりはんの動きを採り入れていた。

「んんっ!?」と思いかけたけれど、食い合わせについてツッコむのはもはや時代遅れな気がしたので踏みとどまった。 きょうび、いろいろなものが食い合わせの限界に挑戦している。 例えばこれがフェスだとしたらどうだ。DA PUMPとひょっこりはんが同時に呼ばれたフェスでコラボするとか十分ありえる。そういう時代である。食い合わせについては公式が率先してボケていく方向にあるので、特に意見は無かった。

でも、ひょっこりはんの振り付けで「んんっ!?」と思った。

舞台にひょっこりする場所が無いので、ハンカチを目の前に用意していた。

そして8回ひょっこりした。児童たちは、ハンカチの横から8回顔を出した。

ひょっこりするたびに、先生と児童の「ひょっこりーっ!」「ひょっこりーっ!」というかけ声が響いた。

ひょっこり部の朝練かな? と思った。

ひょっこりはんのいいところが全部抜け切っていた。しいたけは焼き過ぎると旨みが全部抜けてしまうけど、多分この振り付けをした人はしいたけをカリッカリに焼くだろうな。そしてデスソースかけて食べるんだろうな。

そもそも、なぜ隠れる場所が無い舞台でひょっこりしようとしたのか。隠れる場所が無い、そのハンデを素人がひっくり返せると思ったのか。これは本家でも難しい。もしひょっこりはんが見渡す限り平面の砂漠で生を受けたとしたら、ひょっこり芸は生まれなかったのではないか。

いや、生まれるか。ただ、ミーアキャットみたいな感じで、上にひょっこりするだろうな。地下に隠れるしかないから。横へのひょっこりは思いもよらないだろうな。

偶然オアシスの街で見かけた都会のひょっこりはんが横の動きをしていて、砂漠のひょっこりはんは「横!!」ってびっくりするだろうな。街には遮蔽物が溢れ、ひょっこりのバリエーションは無数にあった。想像は無限と思われがちだけれど、本当に無いものは想像すらできない。5次元のひょっこりはんは、3次元の我々には想像もつかないひょっこりをするのだろう。

どんなひょっこりもその成立過程において世界を内包することになる。そう考えると、それぞれのひょっこりは必然的に生まれたものであり、 とても愛おしいものに思えてくる。小学校の舞台で生まれたひょっこりは、ハンカチを使う。ハンカチは全員持っていくことになっている。学校で生まれた、エチケットのひょっこり。それを8回行う、規律のひょっこり。なんだ、いいひょっこりじゃないか。

ただアンコールで2回見るのつらい。

ペイペイ怖い

僕は本当はペイペイについて語る資格はない。

利用者に基本的に際限なく20%を還元するという100億円あげちゃうキャンペーンに完全に乗り遅れた。インストールはした。ちょっと興味があって待ってたし、わりと早かったと思う。一区、鶴見中継所は先頭集団でタスキをつないだ。そのあとの二区でなんと棄権した。そうはいっても別に欲しいもの無いな、と思って、ぼんやりと過ごした。その後、日本国民は10日で100億円を使い切り、キャンペーンは終了した。 僕は一度もペイペイを起動していない。

そもそも、店頭で「ペイペイで」と言えるかどうか自信がない。ペイペイ。レジの人の気分を害してしまったらどうしよう。 自分がレジ係なら、ペイペイって言われたらちょっとイラッとする。 小馬鹿にされた気分になって、2回スキャンしてやりたくなる。「はい、ペイッ! ペイッ!」とか言って。キャンペーン中にあったといわれる二重決済問題のいくつかはこれなんじゃないかと思う。

商品名は、常に消費者のほうを向いている。一方で、売る側がイラッとする名前、というのがある気がする。昔、オープンしたばかりの焼き肉屋へ行ったとき、割引の効果なのか客が殺到して店内がめちゃくちゃだった。「店長 マ~君」というネームプレートをした目つきの鋭いおじさんに、肉がなかなか来ない旨を告げる。マ~君は大声で指示を飛ばす。その後クルッとこちらに向いて目尻を下げ「すみません~すぐに来ますんで~」とやる。そのときちょうど僕はお酒が無くなってしまったので、「あ、飲み物注文いいですか?」とマ~君に言った。「違う違う! 2皿2皿!」みたいなことを怒鳴っていたマ~君がこちらを向いて「はい~」とやる。「あ、えっと、たんたかたん」「あん?」

「あん?」って言われたな……と思った。鍛高譚は、すっごいパツパツな時に頼むと怒られることが分かった。ペイペイもタイミングによっては怒られる気がする。例えばレジ脇の崖で遭難している人が居てレジ係が歯でロープを支えながらレジ打ちをしているときに「ペイペイ」と言ったら怒られるんじゃないかしら。んで、怒鳴るときにうっかり口を開け、歯で押さえていたロープを放してしまう。谷底に落ちていく遭難者。悪いのは誰? 7:3でペイペイだと思う。

ペイペイ。もし今後使うことになってもペイペイと言わずに「これで……」とだけ発し、携帯の画面を見せる気がする。僕は伏し目がちに、レジ係のご機嫌を伺う。うっかり携帯の画面はロック状態になっていて、宇宙が映し出されている。こいつ……支払いを宇宙に委ねている……よくわからないが、かっこいいな……

もっとも、QRコード決済の最終形態は無人レジだと思うので「ペイペイで」と人類に対して発することができるのは今しかないのかもしれない。「昔さ、人に対して『ペイペイで』って言ってた時期あったよな、あれ何だったんだろうな」みたいな、平成のあるあるに昇華する可能性を感じる。合法的に「ペイペイ」というよくわからない言葉を人に浴びせることができる体験として、楽しむべきなのかもしれない。

そう考えると途端にやる気が出てくる。「ペイペ~イ」とか、ピンクレディーのイントネーションで「ペイ・ペイ」とか、イライラ度を上げていくのもいいと思う。「ペイペイペイ」も、数ちゃんと覚えてこいよ、みたいなバカな人の感じがしていい。ペイペイペイ使いたくなってきた。

ただ、買いたいものがない。

ベランダで整ったこと

日曜の暑い午後、試みにベランダに椅子を出して、座ってみたらとても良かった。

温度計は相変わらず36度とか、笑っちゃうんだけど、地上から10メートルも離れると涼しい風が吹いている。でも、もしかしたら高度とか関係なくて、8月も終わりだとこんなものかもしれない。よく知らないでものをいっている。なにしろ、ここに住んで10年経つけれど、初めてベランダに椅子を出して座ったのです。10年も経てば、もうこの部屋に未踏の地など無いと思っていた。押し入れにも寝てみたし、入れるかな? とか言って洗面台の下に妻が入った。排水のパイプが邪魔で入れなかった。邪魔じゃないわ。あれがご神体だ。洗面台の意味だ。とにかく、ベランダに椅子を出すという行為を、昨日はじめてした。

思えば、暑い日に外でじっと座るのが好きなのでした。オフィス近くの公園に、遊具を丸く囲うようにベンチが等間隔で置かれていて、僕は木陰を選んで座る。風は想像以上に涼しく(毎回、想像以上に涼しいなって思って嬉しいのでお得!)、でもゆっくり皮膚に浸透する気温由来の熱が心地良い。過熱水蒸気オーブンレンジってこんな感じじゃないかしら。

でもそのうち余りある暑さに目を開けると、自分の居るベンチが直火になっているのに気づく。太陽は移動する。それで、僕も隣のベンチへ移動する。それを繰り返す。多分このとき、僕は日時計のような機能を発動している。そのうち「あ、あの変な人が隅のベンチに居るからもう5時だ、帰ろう!」みたいな存在になれると思う。変なおじさんへの入口は、わりとすぐそこにある。

おそらく適度な日なたぼっこは、サウナみたいな効果がある。いい時間だったなあ、みたいな、ちょっとだけ何か外を向いて生きようという気になる。僕はサウナが得意ではないので本当のところはよく分からないんだけど、これを「整った」と言うのではないか、と勝手に思っていて、自分でも「整った」と表現している。似たところで、僕は「グルーヴ感」という言葉をあまりよく分かっていないけど勘で使っている。

それで、昨日、試みにベランダに椅子を出して、座ってみたらとても良かった。

盲点だった。ご家庭で簡単にアレが体験できた。ガラス戸を外から閉めると、家族の声も聞こえなくなった。それで、積ん読の中から、ちょっと前ベストセラーになっていた中動態の本を持ってきて、途中まで読んだはずなんだけど内容全然覚えてなかったから最初から、何のためらいもなく最初から読み始め、いまの僕が完全に中動態なんじゃないかね、とか思っていたんだけど、なんといいますか、そのうち、完全に整ってしまった。日曜の昼下がり、完全に整ってしまった。活動欲。みなぎるやる気。集中力。やりたいことが降ってくる。ファー!という声が出る。でも、今特に要らないんですよ。ガラス戸を開けると子供達が勝手に走り回っている。今日は休日だった。娘がファーという声を真似した。息子の肌着が後ろ前なのに気づいた。

実は、整った状態を使いこなすのに全く慣れてない。やる気をソコソコ制御できると気づいたのは実は半年前くらいで、まだ日が浅い。この状態のとき、ルーチンワークをしたほうがいいのか、終わりのない仕事をしたほうがいいのかも、よく分かってない。初体験は、冬の午後、一人でお風呂屋へ行ったときで、服を着て脱衣場を出たあたりで不用意にやる気がみなぎった。もう家へ帰るつもりだったんだけど、完全に気分がスター獲ったマリオ状態で、でも敵が一匹も出てこない。出てこいよ。いつも「今日中いけるっすか?」とかチャットくるじゃん。来いよ。来ない。それで、敵を求めていつもは絶対入らない広い休憩ルームみたいなほうへ行ったら、スライムみたいなおばちゃんたちが寝そべったり座ったり自由な姿勢でテレビを見ていた。テレビには、小室哲哉の引退会見、あれの内容を朗読した映像が映っていたんだけど、そのときバックで流れていたのがV2の背徳の涙のようで背徳の涙でないちょっと背徳の涙のようなピアノ曲なことが気になって気になって、なんか小室哲哉も泣いているし、誰がうまいことを! という、注意力の無駄遣いをしたのが、最初。

唐揚げ屋

唐揚げ屋が増えてきた。唐揚げ定食屋も増えてるけど、小さな店舗でやる独立系の持ち帰り専門唐揚げ屋。あれに興味がある。唐揚げで勝負するという決断に興味がある。だって、特に今まで唐揚げに困っていて? 惣菜コーナーで買えるし、からあげくんも居る。今までどうにでもなっていた唐揚げを、専門にしてしまう、突進力なのか、唐揚げ愛なのか、香田晋が揚げ土下座をしてきたのかは知らないですけど、唐揚げでやっていくと決めた人たちが居る。何かそういう、力を感じる。うねりを感じる。そして、多分成功している。増えているということは。わしもわしもってなってる。みんなそういう情報どこで仕入れるんだろう。銭湯の飲食コーナー?

確かに唐揚げは提案されれば食べる。安い居酒屋で誰かが必ず頼むし、来たら食べる。もう一回アホな人が頼んでしまっても、誰も気づかずに食べる。多分もう一回くらい頼んでも、変な上司のネクタイ柄が迷路になってた、みたいな話で盛り上がりながらきっと箸を伸ばしてしまう。この唐揚げの無限性に気づいたかしこい人が居たのでしょう。人は唐揚げがあると食べるの法則。これがチーズチヂミだったらそうはいかない。「は? チーズチヂミ多くね?」2皿目のチーズチヂミは、チーズチヂミ警察にあっさり捕まる。

かくして唐揚げ屋という職業が誕生して、よろしくやっているわけだけど、ときに今って職業は増えているのか、減っているのか。必要なくなったり、機械に代替されたり、誰かが兼ねたりすることで、減る圧力はある気がする。一方で、かつて「白いたい焼き屋」なんていうブームがあったり、地下アイドル、おっさんレンタル、平和な世界では職業が増える気がする。

かつて水屋という職業があった、というのは五代目古今亭志ん生のCDで知った。「水屋の富」という、そのままの古典落語がある。江戸時代にはいろいろな職業があって、例えば耳かき屋みたいなのは当時から居た。面白いところでは、親孝行という商売があって、これは老人を労るとかでも何でも無く、「親孝行でござい」と言って人形を背負って歩く一人芝居のようなものだったらしい。何だそれは。職業なのか。ございじゃねえよ。大丈夫か。そういえば、江戸も平和だったのでした。

何の話でしたっけ。唐揚げ屋だ。持ち帰りタイプの唐揚げ屋は、のれんわけやチェーンもあるんだけど、独立系のお店も多い。それで、その、道行く人への「唐揚げ食べようぜ!」という提示の仕方に非常にばらつきがあって、今それが実に面白いのです。ある店舗では、店舗の壁全面に唐揚げの写真を貼っていた。壁一面に片思いの子の盗撮写真を貼る狂気の男、みたいな演出で見たことあるやつだ。そう考えると、恥ずかしい唐揚げのエロ写真に見えてくる。揚がる直前を盗撮したんだろうか。揚がる直前が恥ずかしいかどうか知らないけど。僕が唐揚げだったら恥ずかしいと思ったので。

ある店舗では、探求者みたいな風貌の男が、食べると幸せになる唐揚げを揚げていた。ひとつ食べると幸せに、ふたつ食べると何とか、って書いてあったけど、忘れた。何だろう。何でも良いか。多分ダブルピースとかです。

で、今日僕が行ったところ。ここは、速水健朗さんが言うところの所謂「フード右翼」で、壁に人生訓が貼ってあり、作務衣を纏い、若干高めから塩を振っていた。でもその所作は店に入ってから気になったことで、そもそもこの店で買うと決めてしまったのは、唐揚げを揚げる映像を店頭でずーっと流していたから。テレビがジュウジュウジュウジュウ言うの。これにはマジでやられて、あ、唐揚げ食べたいなって思って、そう、これは最高の提示ですよ。作務衣脱いで、ジャージでも売れますよ。自販にしても売れる。この唐揚げ動画すら売れる。

ただねえ、狭い店頭で、テレビが、ジュウジュウジュウジュウけっこう大きな音で言ってるもんだから、作務衣の説明がよく聞こえないの。あと、店内からはマジのジュウジュウが流れてくるから。ジュウジュウのステレオだから。

それで、え? はい? って2、3回聞き返していたのだけど、そしたら、作務衣が、店内の何かスイッチを切って、程なく店内のほうのジュウジュウ音が消えた。いま特に唐揚げは揚げておらず、そういうBGMだった。