【二度目の入院の話 】1.三度目の入院

 人生三度目の入院をした。
 自分では体は弱くないほうだと思っていたのだけど、三十歳を過ぎた頃から数年に一度、何らかで入院するリズムが出来つつある。妻に「定期的に入院するよね?」と言われて気付いた。「そろそろ時期だと思った」やめてくれ。善光寺のご開帳じゃないんだから、勝手に楽しみにしないでくれ。病室のスマホが光る。妻からのLINEには、共済金を申請するのに必要な書類のリストが書かれている。退院のときに窓口でもらってくればスムーズというわけだ。三度目ともなれば、慣れたものである。

 救いなのは、持病というわけではなくて、毎回入院の理由が違うことだ。それから生命の危険までには至っていない。たぶん。
 それで、三度目の入院。今回の症状は、コロナワクチン接種後に咳が止まらないことから始まった。ワクチンの副反応でまれにある心筋炎なのかもしれないと思った。ところで心筋炎は医者でも診断が難しく、しかも対処療法しかないと何かで読んだ。どうせ経過観察にしかならないのだったら、病院に行く必要は無いな、と思った。今更だけれどこれは危険なことで、病院は絶対に行ったほうがいい。とにかく当時の僕は、そこまで困ってないし別に良いか、という考えだった。
 咳のほかにもう一つ自覚症状があって、ことあるごとに息苦しい。皿洗いをしたり、家のトイレットペーパーを交換するだけでハアハアしてしまう。今考えると絶対におかしい。富士市民なので富士山に喩えると、これは本八合目くらいの酸素濃度だ。本八合目の山小屋でトイレットペーパー交換したことないけど。
 ところで僕は散歩をライフワークにしていて、どれだけ歩いても疲れない能力がある。何故疲れないのか自分でもよく分かっていないのだけど、あの角を曲がるとどんな風景なんだろうとか、なんか落ちてるかもとか、次のシーンへの期待感から出る幸福物質が疲労を打ち消しているんじゃないかと思っている。

 そんな僕が、最寄り駅に着く前に息切れをしてしゃがみ込むようになってしまった。急激な老化説、いままで元気を前借してただけ説などもよぎったけれど、まあ、さすがにおかしいよな、と思って病院へ行ったところ「すぐにご家族を呼んでください」と言われ、そのまま緊急入院になってしまった。
 なんでも気胸といって、肺に穴が開いているらしい。放置したからか、レントゲン写真の肺は片方だけミニチュアみたいに萎んでいた。これかあ。そりゃあ本八合目の感じですわ。この写真がもう苦しい。
 気胸とコロナワクチンとの因果関係はよく分からなかった。接種後の咳がきっかけでなった可能性は否定できないと個人的には思う。ただ医者はそういう不確かなことは一切言わないし(そっちのほうが寧ろ信用できる)、まあ、なるべくしてなったんだろうと思うほかない。一般的には、やせている人がなる病気らしい。原因は不明で、ストレスなどで発症するとされている。肋骨と肺がこすれて破けると主張する人もいるらしい。要は、やせているとたまになる病気だ。僕はやせているのでたまたまなったと思うほかない。

 中程度の気胸の処置は確立していて、肺と胸壁の間にドレーン(管)を挿入し、そこにたまった空気と胸水の逃げ道を作ってやる。そうすると肺は破れながらも元通りめいっぱい広がることができるようになる。そのうち肺の穴はふさがるので、そうしたらドレーンを抜くんだという。物理的に納得感のある治療法があるものだと思った。それはなんだか治りそうな気がする。
 緊急入院と言われて身構えたけれど、通されたのが手術室ではなく処置室というのは気が楽だった。肺に管を刺すことは、湿布を貼るような、ただの処置なのである。何の問題もない。管を刺すときにプシュッ! という缶ビールを空けるような音がするだけのことだ。
「いま音聞こえた? これが肺の外側にたまってた空気。このあと水もたくさん出てきまーす」
 先生がいちいち丁寧に説明してくれる。ただこれは僕のためではなく、僕の後ろにずらっと控えている研修医のためである。ここは大学病院で、現場はもっとも重要な教育の場になっている。
「ここで冷たい布をかぶせると痛みが減少するという論文があったので私は採用してまーす。まあ、気持ちの問題かもしれませんがー」
 これも僕のための説明ではないけれど、何をされているか分からないよりも全然こっちのほうがいいな。あと僕の怖がり方がすごいから、女性の研修医の人がずっと手を握ってくれていた。あんた、いい医者になるぜ。

 かくして今、僕は胸から管を出して、胸水の溜まった水槽みたいなやつをガラガラ引いて歩く身となっている。胸水はジンジャーエールのような色をしていて外から丸見えなのだけど、これを引いて歩くことは何かの迷惑条例に引っかからないか心配になる。一般来院者も使う一階のファミリーマートで、もしおしっこを透明なビニール袋に入れて歩いてたら逮捕されると思う。胸水はどうかセーフであってくれ。まあ、何もなければ一週間も経たずに抜くというので、いまのところ気楽なもんである。
 それよりも、僕は入院と聞いて、病室が少し楽しみだった。「前回」の入院で、同室の人と話すのが楽しかったからだ。
 なぜ病室が楽しいのか。四、五人居れば、奇人が一人は混じる。これは小学校の班を想像すれば分かることだ。会社だとか、友人だとか、同質なものをチョイスする意思によって成立しているコミュニティではそうはならないから普段は忘れがちだけど、四、五人に一人の割合で奇人は潜んでいる。これが人間社会を支配する「率」である。
 病室とは「いま病気の人集まって~」と声をかけられて集まった集団だ。完全ランダムに近いふるまいを示すので、この「率」が成立する。そして「前回」の入院で、僕は奇人を引き当てた。だから、今回も病室に居るかもしれない奇人が楽しみだった。

 果たして今回、奇人どころか、病室での交流が全くないではないか。これには拍子抜けしたけれど、それもそうか、と思った。ここは総合病院で、いろいろな病状の人が居る。いつ退院できるか分からない不安を看護師に吐露している人が居る。「うーん、薬もうちょっと増やしましょうかねえ」という声が回診のときに聞こえてくる。隣のベッドの人は先月退院したのに戻ってきてしまったらしい。基本的にみな顔は暗く、カーテンを閉め切り、お互いあまり顔を合わせないように気を遣っていることが分かったので、僕もそうした。

 そう考えると、僕が楽しかったという「前回」の入院はかなり特殊で、今思えば貴重な体験をしたのではという気がしてきた。それで、急に、書き留めておかねばあの思い出が褪せてしまうという焦りに駆られて、いま病室でこれを書いている。

 前回の入院とは、痔だった。地元で有名な肛門クリニックに入院した。痔にはいくつかの種類があるけれど、手術が必要なレベルになった痔に対してやることは一緒で、下剤で腸を空っぽにしたあと、下半身麻酔をして肛門を弛緩させ、グッと広げて患部を切る。痛みに十日間耐えてゴール。そういう共通ミッションを病室全員が課されていたのだった。さらにその病院では手術は毎週木曜と決まっていたので、病室内は全員同期で、痛みのレベルがほぼ同じだった。共通の話題(おしりのこと)があって、盛り上がらない筈が無い。共に痛がったり励まし合ったり、年の差を超えて僕たちは自然と繋がった。今思えば、あれはおしりの部活だった。おしり部。僕の痔は太陽王ルイ十四世と同じ痔瘻だったので、部内では自信に満ちあふれた行動を取った。痔瘻なんですよ、と言うと「おお……」と言ってもらえた。逆に僕が「おお……」と言ったのは、いぼ痔が4個あって全部切ったと言った大橋さんだけで、これが僕の隣のベッドに居た人で、今回の話の中心人物である。