ベランダで整ったこと

日曜の暑い午後、試みにベランダに椅子を出して、座ってみたらとても良かった。

温度計は相変わらず36度とか、笑っちゃうんだけど、地上から10メートルも離れると涼しい風が吹いている。でも、もしかしたら高度とか関係なくて、8月も終わりだとこんなものかもしれない。よく知らないでものをいっている。なにしろ、ここに住んで10年経つけれど、初めてベランダに椅子を出して座ったのです。10年も経てば、もうこの部屋に未踏の地など無いと思っていた。押し入れにも寝てみたし、入れるかな? とか言って洗面台の下に妻が入った。排水のパイプが邪魔で入れなかった。邪魔じゃないわ。あれがご神体だ。洗面台の意味だ。とにかく、ベランダに椅子を出すという行為を、昨日はじめてした。

思えば、暑い日に外でじっと座るのが好きなのでした。オフィス近くの公園に、遊具を丸く囲うようにベンチが等間隔で置かれていて、僕は木陰を選んで座る。風は想像以上に涼しく(毎回、想像以上に涼しいなって思って嬉しいのでお得!)、でもゆっくり皮膚に浸透する気温由来の熱が心地良い。過熱水蒸気オーブンレンジってこんな感じじゃないかしら。

でもそのうち余りある暑さに目を開けると、自分の居るベンチが直火になっているのに気づく。太陽は移動する。それで、僕も隣のベンチへ移動する。それを繰り返す。多分このとき、僕は日時計のような機能を発動している。そのうち「あ、あの変な人が隅のベンチに居るからもう5時だ、帰ろう!」みたいな存在になれると思う。変なおじさんへの入口は、わりとすぐそこにある。

おそらく適度な日なたぼっこは、サウナみたいな効果がある。いい時間だったなあ、みたいな、ちょっとだけ何か外を向いて生きようという気になる。僕はサウナが得意ではないので本当のところはよく分からないんだけど、これを「整った」と言うのではないか、と勝手に思っていて、自分でも「整った」と表現している。似たところで、僕は「グルーヴ感」という言葉をあまりよく分かっていないけど勘で使っている。

それで、昨日、試みにベランダに椅子を出して、座ってみたらとても良かった。

盲点だった。ご家庭で簡単にアレが体験できた。ガラス戸を外から閉めると、家族の声も聞こえなくなった。それで、積ん読の中から、ちょっと前ベストセラーになっていた中動態の本を持ってきて、途中まで読んだはずなんだけど内容全然覚えてなかったから最初から、何のためらいもなく最初から読み始め、いまの僕が完全に中動態なんじゃないかね、とか思っていたんだけど、なんといいますか、そのうち、完全に整ってしまった。日曜の昼下がり、完全に整ってしまった。活動欲。みなぎるやる気。集中力。やりたいことが降ってくる。ファー!という声が出る。でも、今特に要らないんですよ。ガラス戸を開けると子供達が勝手に走り回っている。今日は休日だった。娘がファーという声を真似した。息子の肌着が後ろ前なのに気づいた。

実は、整った状態を使いこなすのに全く慣れてない。やる気をソコソコ制御できると気づいたのは実は半年前くらいで、まだ日が浅い。この状態のとき、ルーチンワークをしたほうがいいのか、終わりのない仕事をしたほうがいいのかも、よく分かってない。初体験は、冬の午後、一人でお風呂屋へ行ったときで、服を着て脱衣場を出たあたりで不用意にやる気がみなぎった。もう家へ帰るつもりだったんだけど、完全に気分がスター獲ったマリオ状態で、でも敵が一匹も出てこない。出てこいよ。いつも「今日中いけるっすか?」とかチャットくるじゃん。来いよ。来ない。それで、敵を求めていつもは絶対入らない広い休憩ルームみたいなほうへ行ったら、スライムみたいなおばちゃんたちが寝そべったり座ったり自由な姿勢でテレビを見ていた。テレビには、小室哲哉の引退会見、あれの内容を朗読した映像が映っていたんだけど、そのときバックで流れていたのがV2の背徳の涙のようで背徳の涙でないちょっと背徳の涙のようなピアノ曲なことが気になって気になって、なんか小室哲哉も泣いているし、誰がうまいことを! という、注意力の無駄遣いをしたのが、最初。